2009年06月19日

石家河文化(せっかがぶんか、石家河文化)

石家河文化(せっかがぶんか、石家河文化、拼音:shíjiāhé wénhuà , Shijiahe culture, 紀元前2500年頃-紀元前2000年頃)は、中国の長江中流、現在の中華人民共和国の湖北省付近で発見された新石器時代後期の文化であり、長江流域で最初の都市遺跡を残した。
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同地の屈家嶺文化を継承した石家河文化は屈家嶺文化と同一とみなす場合もあるが、環濠集落から発展して大規模な城郭都市が築かれており、都城を築いた時点で屈家嶺文化からは区別されている。屈家嶺文化の特徴的な遺物である彩色紡錘車(spindle-whorls)をも継承している。灰陶などの陶器や陶製の人物像(塑像)、ヒスイの玉製品も、より発達した製法で引き継がれた。また銅鉱石や銅製品も石家河文化の遺跡から発見されている。

標式遺跡である石家河遺跡は、湖北省の省直轄市天門市の石家河で発見された。遺跡の上層部は屈家嶺文化に属している。石家河遺跡は120万平方mの広さを持つ都城で、周囲は堀と版築でできた城壁で囲まれており、その形状はほぼ正方形で南北は1.3km、東西は1.1kmほどであった。この地域の中心都市だったと推測できる。また集落も楕円形や方形の環濠集落へと拡張された時代であった。

2009年06月01日

砕氷船は北極海や南極海

凍結河川などの高緯度地域での氷水面で活動するために、船体や推進器に特別な設計が取り入れられている。

砕氷船は「ラミング」(Ramming、衝角で突いて押し込む)と呼ばれる前進方法を採ることがある。スクリュー・プロペラが生み出す前進推力が砕氷によって阻まれ船体が停止した場合に、一度後進をかけて後ろへ下がり、改めて全力前進によって氷を砕き、これを何度も繰り返して航路を開く方法である。「チャージング」(Charging)とも呼ばれる。

初期には外輪によって氷を砕きながら進む砕氷船や、米国や欧州の砕氷船のように船尾だけでなく船首にもスクリュー・プロペラを備えて氷を砕くことに利用する船もあったが、21世紀の現在では船尾にのみスクリュー・プロペラを備える砕氷船だけである。

スクリュー・プロペラに氷塊が接触してプロペラ先端が氷をらせん状に刻んでゆく「ミリング」(Milling)と呼ばれる状態になると、氷を削る「アイストルク」分だけエンジンや電動機による回転力が減殺されて回転数が低下し、アイストルクがプロペラ駆動力を上回れば回転が停止して推進力が奪われる。このため、ミリングに抗して回転を持続するためのアイストルクを上回る強力な動力機関が必要となる。
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また、ラミング時には前進後進の繰り返しによる氷の乱れから、通常の前進時にはプロペラまで到達しない氷塊がプロペラに衝突することがあり、この時の衝撃に対応するためにプロペラを特に強固に造ったり、万一損傷を受けても推進力を全て失わないように複数の推進器を備えたり、乱流を減らすためにプロペラの回転を止めずに済む可変ピッチプロペラとする、プロペラをダクトで覆うなどの工夫がなされている。プロペラも修理が少しでも簡単に済むようにプロペラ翼単位で交換出来るように工夫されているものもある。また、この時生じるトルク(Ice impact torgue)がプロペラ翼、ボス、推進軸、推進機関へ与える繰返し疲労についても考慮される必要がある。

船首部は過去にはV字型のものが多かったが、V字型船首は進路前方の氷板の一部を割り開くことには優れていても、割られた氷の大きな塊はそのまま船体への抵抗を生み出すためにそれらを排除しながら進むための余分の推進力を必要とする。21世紀の近年ではV字型を改良した「スプーン型船首」や「バース・バウ」(Waas bow)を備える船が登場している。両船首共に船体が氷に乗り上げた力で、氷塊を小さく砕くことで船体との摩擦抵抗を減少させる。スプーン型船首では「リーマー」(Reamer)と呼ばれる船体幅以上に船首幅を広げた部分を備え、船首部を大きな矢じり形にしたものが多く、また、ドイツのWaas博士の考案したバース・バウでは船首船底部をキールに沿って左右に強い斜面とすることで氷塊そのものを左右に排除する機能を備えたものである。

ハル・ウォッシュ・システム(Hull wash system)は、海水を取り込んでポンプで船首部の氷板上に噴射して船首と氷板との摩擦を減らす装置である。これはスウェーデンの砕氷支援船「Oden」に採用されており、日本の2代目砕氷船「しらせ」にも搭載が予定されている。

考案中のアイデアとしては、セミサブ型として、船首をバルバス・バウのように下方に大きく突き出させて、氷塊を下から上に割ってゆくものや、氷海での貨物船向けの船首設計として、船首上部と下部に共に突出部を作る事で貨物満載時と空荷の時の両方で砕氷能力を持たせるものがある。大量の気泡を船底部から放出して船体前面に渡って氷との接触を減らすというアイデアも考案されている。

360度推力を自由に変更出来るポッド型推進器の採用によって氷海啓開作業を迅速に行なう船団護衛用砕氷船がある。通常の内燃機関からの回転推進軸を傘歯車によってスクリュー・プロペラまで伝達するものと、ポッド内部に電動機が内蔵されたものがある。ポッドを採用しない場合でも、電動機によって正転逆転を含めて回転力が自由になるため、主機関での回転力を一度、発電機によって電力に変換して、電動機を駆動する船が砕氷船に限らず多数登場している
日本の砕氷船2代目「しらせ」では船尾の舵取付部に「アイスホーン」(Ice hoon)と呼ばれる角状の装備が付いている。


2009年04月29日

天津甕星

天津甕星(あまつみかぼし)は、日本神話に登場する星の神である。別名、天香香背男(あめのかがせお)、香香背男(かがせお)。

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古事記には登場せず、日本書紀の葦原中国平定にのみ登場する。本文では、経津主神・武甕槌命は国津神をことごとく平定し、草木や石までも平らげたが、星の神の香香背男だけは服従しなかったので、倭文神建葉槌命(しとりがみたけはづちのみこと)を遣わし征服したとしている。第二の一書では天津神となっており、経津主神・武甕槌命が、まず高天原にいる天香香背男、別名を天津甕星という悪い神を誅してから葦原中国平定を行うと言っている。

平田篤胤は、神名の「ミカ」を「厳(いか)」の意であるとし、天津甕星は金星のことであるとしている。「カガ」は「輝く」の意で、星が輝く様子を表したものであると考えられる。

星や月を神格化した神は世界各地に見られ、特に星神は主祭神とされていることもある。しかし、日本神話においては星神は服従させるべき神、すなわち「まつろわぬ神」として描かれている。これについては、星神を信仰していた部族があり、それが大和王権になかなか服従しなかったことを表しているとする説がある。

全国の星神社や星宮神社の多くは天津甕星を祭神としている。 茨城県日立市の大甕神社は、天津甕星を服従させた建葉槌命を祭神としている。社伝では、甕星香々背男(天津甕星)は常陸国の大甕山に居を構えて東国を支配していたとしている。大甕神社の神域を成している宿魂石は、甕星香々背男の荒魂を封じ込めた石であると伝えられている。一説には、建葉槌命によって封じられた後も天津甕星が祟りをなしたため、それを鎮めるために建葉槌命を祭神とする大甕神社が創建されたという。

葦原中国平定に最後まで抵抗した神ということで建御名方と同一神とされることもあり、また、北極星を神格化した妙見菩薩の化身とされることもある。

2009年04月14日

中国ムスリムの食事の特徴

家畜を殺すとき、また食物を加工するときは必ずイスラームの教えに従わなければならない。

2. 豚肉を食べるのはタブーである。ラードを含むような、豚を使った食品を口にすることも同様である。豚のほか、犬、肉食動物の肉、動物の血液も口にしない。

3. 豚など、ハラム(タブー食材)を調理した調理器具や、ハラムを盛り付けた食器は使用しない。

(以上は中国に限らず、世界のムスリムの特徴でもある。)

4. 基本的に飲酒は禁止されている。だが上海や北京などの大都市の一部の清真料理のレストランや軽食堂では規律が厳しくなく、漢族や外国人など、非イスラム教徒がアルコールを持ち込むことを黙認していたり、酒類そのものを扱っている店も少なくない。ビールテイスト飲料などノンアルコール飲料は公認している場合もあるが、これらも微量のアルコールを含むために禁止しているところもある。一般的に、大都市であっても青海省、甘粛省などの、戒律の厳しい地域の出身者が営業している店では、酒の扱いや酒の持込を禁じている場合が多い。

5.海鮮、魚介類に関しては地域や、個人により禁忌の如何について意見が分かれる。遼寧省や広東省のような沿海地域の清真食堂では、魚の他、エビ、カニ、タコ、イカ、ナマコ、貝などもよく置かれている。一方で内陸部の清真食堂でそのような物が置かれている事は稀である。一般に、クルアーン等シャリーア(イスラーム法)において、魚介類の食に関してはあまり触れられていない。(アラブ人にそのようなものを食べる習慣がなかったからではないかと思われる。)そのため、リベラルな考えの浸透した地域や個人においては、禁止されていない事を根拠に、おおよそ魚介類はハラールと解釈される。一方、厳格な場合、魚介類の食利用がハラムと解釈されることもある。厳格なムスリムの場合、特にシャリーアで禁止されていないことでも、預言者ムハンマドが慣習的に行わなかったことについては避ける傾向にあるからである。当然、預言者が食べなかった物については禁止の規定が無くても、好まれない。

6.地域によっては昆虫などの小動物も食される。遼寧省では一般の食堂と同様、清真食堂にも蚕の蛹などが置かれている。広東省広州の大きな清真料理のレストランでは水生昆虫をはじめ、それこそ(ハラムにはならない範囲で)広州市の一般の食堂と変わらない多種多様な珍味が置かれている。

7.回民を含め、基本的に世界のムスリムの食習慣において、ある食べ物についてハラムかハラールかの判定に迷うということは、シャリーアの理屈の上ではありえない。なぜならシャリーアにおいてはハラム以外は全てハラールだからである。イスラームの食文化は決して、許可されたもの以外口にしてはいけないかのような、窮屈なものではない。そのため、上述のような多様な食文化が回民および世界のムスリムの間でも行われているのである。しかしそれは理屈の上でのことで、実際にはハラールの概念はより狭められている。法学派上の解釈の違いや、一部のイスラム学者の見解によってある食べ物がハラムと解釈されることがよくある。また地域の食文化、および個人の家庭の食習慣において食べられないものがハラムであると認識されていることもよくある。一例を挙げれば、ある大連市出身の回族の青年は、蟹を食べることは禁止であると認識していた。しかし実際には大連の回民の間でも蟹はよく食べられる食品である。家庭や周囲で蟹が食べられる事がなかったため、その青年はそれを回民の間での禁止と理解していたのであろう。いずれにしても食事は楽しみながら行うのが本来のあるべき形であるから、(たとえハラールであっても)一個人との間でハラムについて議論をしたり、不快感を感じさせる食習慣を押し付けたりするべきではない。

バリエーション [編集]
清真料理は地域ごとに(特に北中国と南中国で)異なっている。例えば甘粛省や青海省一帯の回族は、小麦やトウモロコシ、ハダカムギ(大麦の一種)、ジャガイモを主食とするのに対し、寧夏地区の回族は小麦の粉で作った食事を好む。

蘭州牛肉面
羊肉串
羊肉泡?(ちぎったパンを入れたスープ)
葱爆羊肉(羊肉とネギの炒め物)
?豆餅(緑豆の粉で作った餅)
牛肉米粉(牛肉ビーフン)
?子(小麦粉を練って揚げた菓子)

ネオクラ スタンド タックイン グッピー べにま おおつち シモツ タンリム スカッシュ シャイ ネオコン マンハント タロ芋 ダスド チューハイ トーナル けまり ミトン ヒュミント よめな ブレンド ベローズ マラン バッジ ブラック クロチ 街道の扉 フィック ピステ トライ ボーイ カキド ルイベ フルオート プロタミン シャント ロジック ビバーク ワルフ カレンシー ション イワヒバ ファーコ ネメシス ネオカ 影の館 グリー ボンボン ヒーター ドゥー炉

2009年03月30日

ウィスキー・オン・ザ・ロック

ウィスキー・オン・ザ・ロック (Whiskey on the rocks) 事件とは、ソ連海軍のバルチック艦隊に所属していたウィスキー級潜水艦U-137が、1981年10月27日にスウェーデンの領海内で座礁した事件。両国政府間の大きな政治的問題になった
どうぼう みんな一緒 バドガエル タッフバグ パノラマ リージング おぜいゆ野 しうり ヘチマ フジ情報 ブラッド スパーリ キーマン ミール モグタ ピテクス レンギ わっかない ローファー ハード ミネソタ レニン グルユース タリン オクラ ドライスキ ミネル シーケー チェリスト ミカン リーブ アフリカ じょべーぜ ガジェット ラブロマ ボール バジェ ヌーディズ スコタイ チャイナス タイプミス みねばり フランク タンジ ピメント プロフェッ ミント タイル 月曜日 ノルレボ

事故の概要 [編集]
ソ連の通常動力型潜水艦(ディーゼル・エレクトリック方式)ウィスキー級(この名称はNATOコードネームでソ連ではプロジェクト613と呼称)は、ドイツのUボートの派生型であり、当初は沿岸警備潜水艦であったが、一部が誘導ミサイル潜水艦として改造されていた。

ソビエト連邦のウィスキー級潜水艦のひとつであった、U 137 (ソ連側呼称は S-363 )はバルチック艦隊所属であった。1981年10月27日の夜、U 137は推進動力を充電する為に浮上し微速航行していた。この潜水艦は上層部から他国の領海を侵犯する作戦命令を受けていなかったが、ここから前代未聞の事故を起こすことになる。

艦長のピョートル・グージン(Pyotr Gushchin)少佐は配属されたばかりであったが、問題を引き起こしたのは当夜操舵を任された航法士官である。彼は兵学校を卒業したばかりの新人で、経験不足であった。艦橋の見張り員は潜水艦の左右に黒いものが見えると報告していたが、彼は油の帯であり問題ないと無視していた。しかし実際は岩礁であった。これは彼は航法ミスで実際よりも180Kmも位置がずれていたことに気付いていなかった。そのためソ連沿岸を航行しているつもりが、隣国のスウェーデン沿岸を航行していた。そのためU 137はスウェーデン領海に意図しない侵犯をしていた。そしてついに、とある岩礁に乗り上げてしまった。

朝になって、潜水艦が座礁したのはスウェーデン東岸のカールスクルーナからわずか 10 kmの地点であり、そのカールスクーナはスウェーデン海軍の基地があった。すなわち隣国の軍港の目の前であった。スウェーデンはNATOに加盟していない中立国であったが、ソ連の友好国でもなかった。

この時期スウェーデンでは漁船の魚網が引き裂かれる事例が多数あり、ソ連潜水艦による領海侵犯が日常的に行われている証左とされていた。この事故もソ連がスウェーデンの海岸線に侵入していて、座礁したと思われていた。スウェーデン政府の見解では軍港の目の前に座礁したのは当時スウェーデン海軍が行なっていた魚雷のテストを偵察するためであるとされた。

スウェーデン側は離礁のための曳船を差し向けたが、艦長はこれを拒否、副艦長のワシーリイ・ベセージン(Vasily Besedin)政治将校は、手榴弾をポケットに詰め込んで艦橋に仁王立ちし、スウェーデン側が乗艦しようというものなら自沈する覚悟であるとの意思表示をした。その一方でソ連側は航法ミスによる事故と説明し、領海侵犯の意図がなかったとして航海日誌を提出したが、今度はソ連潜水艦のお粗末な航法ミスを世界に知らしめる事態となった。そのため、当該事故を「ウィスキー(級潜水艦)・オン・ザ・ロック(岩礁)」と揶揄されることになった。

なお、スウェーデンの沿岸警備隊に包囲されたU137が解放されたのは、ソ連・スウェーデン両国政府の合意が成立した11月6日のことであった。なおスウェーデン国防調査局は、U 137に核兵器が搭載されている事実を掴もうとして、放射性物質を測定したところ艦内にウラン238 と思われる反応があったが、確証を得られるまでには至らなかった。これはソ連当局がU 137 に核兵器を搭載していると認めなかったからである[1]。

ただし、後にベセージンはU 137に搭載されていた10発の魚雷のうち一部が核弾頭魚雷であったことを認めたという[2]。なお艦長は事故後解任され地上勤務になり除隊したという。

2009年03月16日

フェラポントフ修道院

フェラポントフ修道院(ロシア語:Ферапонтов монастырь)は、ロシア・ヴォログダ州にある修道院である。1398年に創建され、2000年にUNESCOの世界遺産に登録された。

1398年に聖フェラポントによって、修道院は創建された。修道院の名声は、en:Kirill of Beloozeroの弟子であるマルティニアンの時代に広がった。彼は、1447年には、セルギエフ・パサード至聖三者セルギー大修道院の修道院長となる。

彼の死後、イヴァン3世の一族によって、修道院は保護された。1490年には、生神女誕生聖堂が、ロストフの技術者の指導によって、レンガ造りで建設された。フェラポントフ修道院の聖堂建築は、1490年代に建設されたロシア北部の建築物の中でも保存状態がいい。また、聖堂の内壁は、15世紀から16世紀に活躍したフレスコ画家であるディオニシウスによる(en)フレスコ画が描かれている。
ランド ドトラスト ジャム ガザニア マンホー ヒナガ ピンワ サテン ナスダック マクロ フォト ソンロ フラノ ロゴン もせう リアージ トポグ ロフィー ガスタン ぜんだな イコール ミサ全国 ジャンプ ハロー ロスジ ウィジ おおつち リヨン ビスタ ドッグ フォーカス トトカル トギザ ダリ タオル ッドカード ドーピ ダブル ライオ モブログ スノー くしろ エンド スノース バヌアツ ビラリー バスルガ チュリエ テーマソン リンド

1530年代には、宝物館、食堂、生神女福音教会が建設された。また、イヴァン4世により、様々な特権が与えられ、60の村を所有するにいたった。イヴァン4世は、数回、この修道院を巡礼の形式で訪れている。

1598年から1613年の大動乱時代(en)には、ポーランド人により、攻撃を受けた。ロシアが失地を回復する中で、1641年から1680年の間に、3つの教会と鐘楼が建設された。

修道院が宗教的重要性を徐々に喪失する中で、ニーコン総主教(en:Patriarch Nikon)のように、流刑地としての性格を持っていくようになった。1798年、ピョートル3世により、修道院は廃止され、その地位を回復したのは1904年であった。20年後、ボルシェヴィキの手によって、再度、修道院は閉鎖したが、1975年、修道院は、美術館として復活した。

世界遺産登録基準 [編集]
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。

(1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。

2009年02月26日

零豪鬼(ぜろごうき)

ある文献には、かつて格闘界に「ゴウキ」と呼ばれる最強の戦士がいたと伝えられている。機体の設計者がその人物に深い憧憬と畏怖を感じていたことは想像に難くない。コロニー連合軍により1体のみ存在が確認されているが、国籍・メーカー等は不明で、駆動原理についても一切の謎に包まれている。
チック ぐうわ ラガーマ ヒール 黄砂の時間 ヨル ラジル セルン レイン ピックス フリーク 黄金バッド ランナー ウエポン ハムスライ かいわれ セサミン ガスホ ラスパ ヒップ バレンタ ルナス フェミニ ホガニー オランウー トレイン レッスン キムチ ビーチ サイト リードグ シルバ シフォンケ グッド カプチーノ ヒット フェロ ビーシ 男の街 フリー ミニマム ウンボク りゅうがん オーナー ちりめん ブーケト キレート フレン ドライバー バリュー

名称:零豪鬼(初号機)
コードナンバー:G-13EX
装甲材質:ゴーマニューム合金
本体重量:118.5t
頭頂高:22.0m
ジェネレーター出力:6,660kw
センサー有効半径:33,920m
装備:ゴーアーム、ゴーレッグ
開発国:不明
所属:不明

基本構造
ゴーヘッド
スーパーコンピューター"GIQ2000"搭載。チョンマゲ部に装備されている音声入力デバイスで操作が可能。
ゴーじゅずセンサー
センサー有効範囲は、33920mとVA中最大の感度を持つ。夜になると数珠が光るようである。
ゴー動力炉
殺意の波動で動いているのかは不明だが、コクピットブロックはこの上にマウントされている。
ゴープロペラントタンク
エネルギーが蓄えられてる部分とのことだが、中に何が詰まっているかは不明。一説では地球に優しい燃料らしいとのこと。
ゴーアーム
マッコウクジラ100頭ぶんの力に匹敵する。そこからミサイルを発射したり、火を吹くこともできる。腕を制御する機構はどうなっているのかは謎。
ゴーアーマー
強靭な耐久性と柔軟性を兼ねそろえた夢の合金ゴーマニュームでできている。
ゴーレッグ
ニホンカモシカ1億匹ぶんに匹敵する瞬発力を備えている。
ゴーフット
中は4人家族が住めるくらいの一軒家と自家用車が格納されている。

技一覧
技の仕様は、本家である豪鬼に比べるとかなり違う点が多い。また「阿修羅閃空」「天魔空刃脚」に相当するものは無い。

投げ技
豪スルー(ごうスルー)
ボディスラムのような投げ技。タイプが2種類ある。
豪抜き(ごうぬき)
相手のアーム(腕)にダメージを与える技で、規定値以上になるとアームがもぎとれる。

特殊技
豪連撃(ごうれんげき)
基本技のコンビネーションで2段攻撃。ターゲットコンボに近い。
豪連殺(ごうれんさつ)
基本技のコンビネーションでこちらは3段攻撃。
豪ボディプレス(ごうボディプレス)
空中から下方向に広い攻撃判定を持つ技。

ギガクラッシュ
豪怒(ごうど)
オーラを開放し、自分の周りにバリアを張る。威力は低いが、この時は無敵状態で仕切り直す時になどに使う。
『ポケットファイター』での豪鬼における「メガクラッシュ」に相当する。

必殺技
豪波動拳(ごうはどうけん)
気弾は本家では手形だが、こちらではミサイル形になっている。
斬空波動拳(ざんくうはどうけん)
こちらも気弾はミサイル形になっている。
豪昇龍拳 (ごうしょうりゅうけん)
仕様はほぼ本家同様だが、無敵時間がないに等しい。
竜巻斬空脚(空中可)(たつまきざんくうきゃく)
ほぼ本家同様、しかし地上版は追い討ちが少し難しい。それに対し空中版は比較的簡単に「豪昇龍拳」で追い討ちが可能。
レーザー波動拳(レーザーはどうけん)
多段ヒットするビーム状の「波動拳」を放つ。ただし出るのが遅く、スキもかなり大きい。本家での「灼熱波動拳」に相当する。

サイバーEX
滅殺豪波動拳(めっさつごうはどうけん)
豪鬼の「滅殺豪波動」とほぼ同じ技で、ビーム状の「波動拳」を放つ。なお、レーザー波動拳よりビーム形状が太く、ヒット数、威力とも大きい。
滅殺豪昇龍拳(めっさつごうしょうりゅうけん)
豪鬼の「滅殺豪昇龍」とほぼ同じ技で、「豪昇龍拳」を3回放つ。
滅殺空中SPドリル(めっさつくうちゅうエスピードリル)
豪鬼の「天魔豪斬空」とほぼ同じ技だが、「斬空波動拳」のミサイルではなく、ドリルを数発放つ技となっている。
真空竜巻斬空脚(しんくうたつまきざんくうきゃく)
豪鬼の「滅殺豪螺旋」と違い上昇せず、リュウの「真空竜巻旋風脚」とほぼ同じ。(当時では「滅殺豪螺旋」はまだ出てなかったため。コンシューマー版での本作品は1997年3月で、『ストIII 2nd』は1997年10月)
瞬獄殺(しゅんごくさつ)
本家の豪鬼のものとは仕様が異なり、投げ技でなく、タックルのような動作で突っ込みこれがヒットすれば、連続攻撃を叩き込み最後に「豪昇龍拳」でふきとばす技となっており、SNKの格闘ゲーム『龍虎の拳』のリョウ・サカザキらが使う「龍虎乱舞」に類似した形になっている。

2009年02月10日

東大寺(とうだいじ)

東大寺(とうだいじ)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の仏教寺院である。現別当(東大寺別当、住職)は219世・上野道善。
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「金光明四天王護国之寺」(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とし、開山(初代別当)は良弁僧正(ろうべんそうじょう)である[1]。

奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約100メートル)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した。現存する大仏は、台座などの一部に当初の部分を残すのみであり、現存する大仏殿は江戸時代、18世紀初頭の再建で、創建当時の堂に比べ、間口が3分の2に縮小されている。「大仏さん」の寺として、古代から現代に至るまで広い信仰を集め、日本の文化に多大な影響を与えてきた寺院であり、聖武天皇が当時の日本の60余か国に建立させた国分寺の本山にあたる「総国分寺」と位置づけられた
東大寺の起源は大仏造立よりやや古く、8世紀前半には大仏殿の東方、若草山麓に前身寺院が建てられていた。東大寺の記録である『東大寺要録』によれば、天平5年(733年)、若草山麓に創建された金鐘寺(または金鍾寺(こんしゅじ))が東大寺の起源であるとされる。一方、正史『続日本紀』によれば、神亀5年(728年)、第45代の天皇である聖武天皇と光明皇后が幼くして亡くなった皇子の菩提のため、若草山麓に「山房」を設け、9人の僧を住まわせたことが知られ、これが金鐘寺の前身と見られる。金鐘寺には、8世紀半ばには羂索堂、千手堂が存在したことが記録から知られ、このうち羂索堂は現在の法華堂(=三月堂、本尊は不空羂索観音)を指すと見られる。天平13年(741年)には国分寺建立の詔(みことのり)が発せられ、これを受けて翌天平14年(742年)、金鐘寺は大和国の国分寺と定められ[2]、寺名は金光明寺と改められた。

大仏の鋳造が始まったのは天平19年(747年)で、この頃から「東大寺」の寺号が用いられるようになったと思われる。なお、東大寺建設のための役所である「造東大寺司」が史料に見えるのは天平20年(748年)が最初である。

聖武天皇が大仏造立の詔(みことのり)を発したのはそれより前の天平15年(743年)である。当時、都は恭仁京(くにのみや 京都府相楽郡加茂町)に移されていたが、天皇は恭仁京の北東に位置する紫香楽宮(しがらきのみや 現・滋賀県甲賀市信楽町)におり、大仏造立もここで始められた。聖武天皇は短期間に遷都を繰り返したが、2年後の天平17年(745年)、都が平城京に戻るとともに大仏造立も現在の東大寺の地であらためて行われることになった。この大事業を推進するには幅広い民衆の支持が必要であったため、朝廷から弾圧されていた行基を大僧正として迎え、協力を得た。

難工事の末、大仏の鋳造が終了し、天竺(インド)出身の僧・菩提僊那を導師として大仏開眼会(かいげんえ)が挙行されたのは天平勝宝4年(752年)のことであった。そして、大仏鋳造が終わってから大仏殿の建設工事が始められ、竣工したのは天平宝字2年(758年)のことであった。

東大寺では大仏創建に力のあった良弁、聖武天皇、行基、菩提僊那を「四聖(ししょう)」と呼んでいる。

東大寺と橘奈良麻呂
大仏造立・大仏殿建立のような大規模な建設工事は国費を浪費させ、日本の財政事情を悪化させるという、聖武天皇の思惑とは程遠い事実を突き付けた。実際に、貴族や寺院が富み栄える一方、農民層の負担が激増し、平城京内では浮浪者や餓死者が後を絶たず、租庸調の税制も崩壊寸前になる地方も出るなど、律令政治の大きな矛盾点を浮き彫りにした。

天平勝宝8歳(756年)5月2日、聖武太上天皇が死去する。その年の7月に起こったのが、橘奈良麻呂の乱である。7月4日に逮捕された橘奈良麻呂は、藤原永手の聴取に対して「東大寺などを造営し人民が辛苦している。政治が無道だから反乱を企てた」と謀反を白状した。ここで、永手は、「そもそも東大寺の建立が始まったのは、そなたの父(橘諸兄)の時代である。その口でとやかく言われる筋合いは無いし、それ以前にそなたとは何の因果もないはずだ」と反論したため、奈良麻呂は返答に詰まったと言う。橘奈良麻呂の乱は計画性に乏しく、軽率と言えば、軽率ではあった。しかしながら、反乱の口実にまで東大寺が利用された、ということは、東大寺建立自体が、天皇の理想を実現させる、ただそれだけのために実際の労働状況や財政事情等の問題点を度外視した途方もない、一大プロジェクトであったことをも白日の下にさらした。

奈良時代・平安時代の東大寺
奈良時代の東大寺の伽藍は、南大門、中門、金堂(大仏殿)、講堂が南北方向に一直線に並び、講堂の北側には東・北・西に「コ」の字形に並ぶ僧房(僧の居所)、僧房の東には食堂(じきどう)があり、南大門-中門間の左右には東西2基の七重塔(高さ約100メートルと推定される)が回廊に囲まれて建っていた。天平17年(745年)の起工から、伽藍が一通り完成するまでには40年近い時間を要している。

奈良時代のいわゆる南都六宗(華厳宗、法相宗、律宗、三論宗、成実宗、倶舎宗)は「宗派」というよりは「学派」に近いもので、日本仏教で「宗派」という概念が確立したのは中世以後のことである。そのため、寺院では複数の宗派を兼学することが普通であった。東大寺の場合、近代以降は所属宗派を明示する必要から華厳宗を名乗る[3]が、奈良時代には「六宗兼学の寺」とされ、大仏殿内には各宗の経論を納めた「六宗厨子」があった。平安時代には空海によって寺内に真言院が開かれ、空海が伝えた真言宗、最澄が伝えた天台宗をも加えて「八宗兼学の寺」とされた。

また、平安時代に入ると、桓武天皇の南都仏教抑圧策により「造東大寺所」が廃止されるなどの圧迫を受け、また講堂と三面僧房が失火で、西塔が落雷で焼失したり、暴風雨で南大門、鐘楼が倒壊したりといった事件が起こるが、後に皇族・貴族の崇敬を受けて黒田庄に代表される多数の荘園を寄進されたり、開発した。やがて、南都の有力権門として内外に知られるようになり、多数の僧兵を抱え、興福寺などと度々強訴を行っている。

中世以降
東大寺は、近隣の興福寺とともに治承4年12月28日(1181年1月15日)の平重衡の兵火で壊滅的な打撃(南都焼討)を受け、大仏殿をはじめとする多くの堂塔を失った。この時、大勧進職に任命され、大仏や諸堂の再興に当たったのが当時61歳の僧・俊乗坊重源であった。重源の精力的な活動により、文治元年(1185年)には後白河法皇らの列席のもと、大仏開眼法要が行われ、建久元年(1190年)には、再建大仏殿が完成、源頼朝らの列席のもと、落慶法要が営まれた。

その後、戦国時代の永禄10年10月10日(1567年11月10日)、三好・松永の戦いの兵火により、大仏殿を含む東大寺の主要堂塔はまたも焼失した(東大寺大仏殿の戦い参照)。仮堂が建てられたが慶長15年(1610年)の暴風で倒壊し大仏は露座のまま放置された。その後の大仏の修理は元禄4年(1691年)に完成し、再建大仏殿は公慶上人(1648年-1705年)の尽力や、将軍徳川綱吉や母の桂昌院をはじめ多くの人々による寄進が行われた結果、宝永6年(1709年)に完成した。この3代目の大仏殿(現存)は、高さと奥行きは天平時代とほぼ同じだが、間口は天平創建時の11間からおよそ3分の2の7間に縮小されている。また、講堂、食堂、東西の七重塔など近世以降はついに再建されることはなく、今は各建物跡に礎石のみが残されている[4]。

伽藍
南大門(国宝)
木造金剛力士像東大寺は1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。

毎年1月1日の0時から8時までの間、中門(重要文化財)が開かれ、金堂(大仏殿・国宝)内に無料で入堂できる(通常入堂料:大人500円・小人300円)。参拝は午前7時半から受け付けている。

南大門(国宝)
平安時代の応和2年(962年)8月に台風で倒壊後、鎌倉時代の正治元年(1199年)に復興されたもの。東大寺中興の祖である俊乗坊重源が中国・宋から伝えた建築様式といわれる大仏様(だいぶつよう、天竺様・てんじくようともいう)を採用した建築として著名である。大仏様の特色は、貫と呼ばれる、柱を貫通する水平材を多用して構造を堅固にしていること、天井を張らずに構造材をそのまま見せて装飾としていることなどが挙げられる。門内左右には金剛力士(仁王)像と石造獅子1対(重文)を安置する。
木造金剛力士立像(国宝)
高さ8.4メートルの巨大な木像。門の向かって右に吽形(うんぎょう、口を閉じた像)、左に阿形(あぎょう、口を開いた像)を安置する。これは一般的な仁王像の安置方法とは左右逆である。1988年から1993年にかけて造像以来初めての解体修理が実施され、像内からは多数の納入品や墨書が発見された。それによると阿形像は大仏師運慶および快慶が小仏師13人を率いて造り、吽形像は大仏師定覚および湛慶が小仏師12人とともに造ったものである。これは、「阿形像は快慶、吽形像は運慶が中心になって造った」とする従来の通説とは若干異なっているが、いずれにしても、運慶が制作現場全体の総指揮に当たっていたとみて大過ないであろう。
中門(重文)
金堂(大仏殿)の手前にある入母屋造の楼門(2階建ての門)。享保元年(1716年)頃の再建。中門の両脇から「コ」の字形に回廊が伸び、金堂の左右に至る。
金堂(大仏殿)(国宝)
金堂および本尊盧舎那仏(大仏)については別項「東大寺盧舎那仏像」を参照。
如意輪観音坐像・虚空蔵菩薩坐像(重文)
大仏の左右に脇侍として安置される。これらの像は大仏(銅造)とは異なり木造である。京都の仏師山本順慶一門と、大坂の仏師椿井賢慶一門らにより、30数年をかけて制作されたもので、江戸時代の代表的な仏教彫刻である。如意輪観音像は元文3年(1738年)頃の完成、虚空蔵菩薩像は遅れて宝暦2年(1752年)の完成。
金銅八角燈籠(国宝)
大仏殿の正面に立つ燈籠。たびたび修理されているが、基本的には奈良時代創建時のものである。火袋には楽器を奏する菩薩の浮き彫りがある。

俊乗堂
鎌倉時代に大仏と大仏殿を再興した中興の祖、俊乗坊重源を祀る堂。現在の堂は宝永元年(1704年)の再建。本尊の俊乗上人坐像(国宝)は、上人が86歳で没した直後の制作と思われ、鎌倉時代肖像彫刻の傑作である。
行基堂
奈良時代の著名な僧で、東大寺の創建にも貢献した行基の肖像を安置する。
念仏堂(重文)
鎌倉時代の建築。同じく鎌倉時代の地蔵菩薩坐像(重文)を安置する。
鐘楼(国宝)
鎌倉時代、13世紀初頭の建築。吊られている梵鐘(国宝)は大仏開眼と同年の天平勝宝4年(752年)の制作で、中世以前の梵鐘としては最大のもの(高385センチ、口径271センチ)。2002年12月、NHKの下請け業者に釘を打ち込まれる事件に遭った。
法華堂(三月堂)(国宝)
境内の東方、若草山麓にある。東大寺に残る数少ない奈良時代建築の1つであり、天平仏の宝庫として知られる。東大寺の前身寺院である金鐘寺(こんしゅじ)の羂索堂(けんさくどう)として建てられたもので、記録により天平15年(743年)までには完成していたと思われる。建物の北側約3分の2(参道側から見て向かって左側)の、仏像が安置されている部分が天平時代の建築で、南側の礼堂(らいどう)部分は鎌倉時代の正治元年(1199年)頃に老朽化した天平建築を取り壊し再建したものである。堂内には多数の仏像を安置し、うち本尊の不空羂索観音立像をはじめ9体の乾漆像(麻布を漆で貼り固めた張り子状の像)と、執金剛神像を含む5体の塑像(粘土製の像)が奈良時代のものである。細い制作年代や当初の安置状況については諸説あるが、9体の乾漆像と執金剛神像が当初からの安置仏で、残りの塑像4体は客仏(後世に他の堂から移された像)とするのが通説である。
乾漆不空羂索観音立像(国宝)
奈良時代。高さ3.6メートル。三眼八臂(額に縦に第3の目があり、8本の腕をもつ)の観音像である。頭上の宝冠は、正面に銀製の阿弥陀如来像を飾り、数多くの宝石や透かし彫りで飾った華麗なもので、普段は近くで見ることはできないが、奈良時代工芸の優品として知られる。
塑造日光・月光(がっこう)菩薩立像(国宝)
奈良時代。本尊不空羂索観音の両脇に静かに合掌して立つ。天平彫刻の代表作として著名だが、造像の経緯等は定かでなく、本来の像名も不明である(「日光・月光菩薩」という名称は後世に付けられたもので、本来は、薬師如来の脇侍となる菩薩)。像の表面は現状ほとんど白色だが、制作当初は彩色像であった。本来の像名は梵天・帝釈天だった、とする説もある。
乾漆梵天・帝釈天立像(国宝)
奈良時代。本尊・不空羂索観音立像の左右に安置されている高さ4mを超える巨大な像で、ゆったりとした悠揚たる風格に圧倒される。
乾漆金剛力士立像(国宝)
奈良時代。
乾漆四天王立像(国宝)
法華堂須弥壇上の四隅に安置された四方を守護する神将像で、華麗な彩色文様がよく残り、天平時代の華やかさを今に伝える。
塑造執金剛神立像(国宝)
本尊不空羂索観音の背後の厨子に北向きに安置される。右手に金剛杵(こんごうしょ、仏敵を追い払う武器)を持ち、目を吊り上げて威嚇する武神像である。長らく秘仏であったため、当初の彩色がよく残る。執金剛神とは、仁王像を1体で表わしたもの。本像は東大寺の開山(初代住職)良弁の念持仏と伝え、平将門の伝説でも知られる、古来著名な像である。伝説によれば、平将門が東国で乱を起こした時、この像の髻(もとどり、結髪)を結んでいる元結紐(もとゆいひも)の端が蜂となって飛び去り、将門を刺して苦しめたという。たしかに、本像の元結紐は今も片側が欠失している。秘仏であり、良弁の命日の12月16日のみ公開される。
塑造吉祥天・弁才天立像(重文)
奈良時代。堂内の厨子に安置されている。唐三彩の婦人俑に似た豊満な貴婦人の形をとっている。吉祥天は二臂、弁財天は八臂。いずれも破損が著しいがかえって塑像の構造が明らかにされており、美術史上貴重な資料である。
木造不動明王二童子像(重文)
南北朝時代。小品ながらもよくまとまった佳品である。
木造地蔵菩薩坐像(重文)
鎌倉時代。

東大寺二月堂二月堂(国宝)
旧暦2月に「お水取り」(修二会)が行われることからこの名がある。二月堂は平重衡の兵火(1180年)、三好・松永の戦い(1567年)の2回の大火には焼け残ったとされているが、寛文7年(1667年)、お水取りの最中に失火で焼失し、2年後に再建されたのが現在の建物である。本尊は大観音(おおがんのん)、小観音(こがんのん)と呼ばれる2体の十一面観音像で、どちらも何人も見ることを許されない絶対秘仏である。建物は2005年12月、国宝に指定された。
開山堂(国宝)
開山(初代住職)良弁の肖像を安置するための堂。内陣は正治2年(1200年)、外陣は建長2年(1250年)の建築で、東大寺南大門とともに、大仏様(よう)建築の数少ない遺作である。本尊木造良弁僧正坐像(国宝)は平安初期9世紀の作品で、良弁の命日の12月16日のみ公開される。
三昧堂(四月堂)(重文)
本尊千手観音像(重文)、阿弥陀如来坐像(重文)などを安置する。
大湯屋(重文)
鎌倉時代の建築。内部に鉄湯船(重文)が残る。
勧進所
東大寺中興の祖である重源が勧進(焼失した東大寺再興のための寄金募集)の本拠としたところである。大仏殿西側の塀で囲まれた一画に阿弥陀堂、八幡殿、公慶堂などがある。
阿弥陀堂
五劫思惟阿弥陀(ごこうしゆい)像(重文)を安置する。
八幡殿
建仁元年(1201年)、快慶作の僧形八幡神(そうぎょうはちまんしん)坐像(国宝)を安置する。この像は東大寺の鎮守である手向山八幡宮い(たむけやまはちまんぐう)の神体であったもので、明治の神仏分離に伴東大寺に移された。制作当初の彩色が鮮やかに残る、快慶の代表作である。毎年10月5日のみ公開される。
公慶堂
江戸時代の大仏殿再興に貢献した公慶上人の肖像(重文)を安置する。像は上人の死去の翌年である宝永3年(1706年)の作。
戒壇院
出家者が受戒(正規の僧となるための戒律を授けられる)するための施設として、天平勝宝7歳(755年)に鑑真和上を招いて創建された。現在の建物は享保18年(1733年)の再建である。内部には中央に法華経見宝塔品(けんほうとうほん)の所説に基づく宝塔があり、その周囲を四天王像が守っている。
塑造四天王立像(国宝)
法華堂の日光・月光菩薩像とともに、奈良時代の塑像の最高傑作の1つ。怒りの表情をあらわにした持国天、増長天像と、眉をひそめ怒りを内に秘めた広目天、多聞天像の対照がみごとである。記録によれば、創建当初の戒壇院四天王像は銅造であったので、今ある四天王像は後世に他の堂から移したものであることが明らかである。
転害門(国宝)
境内西北、正倉院の西側にある八脚門。平重衡の兵火(1180年)、三好・松永の戦い(1567年)の2回の大火にも焼け残った寺内で数少ない建物の1つ。鎌倉時代の修理で改変されているが、基本的には奈良時代の建物である。2004年頃から野良猫による糞尿や爪とぎの被害が問題になっている。

史跡
現境内を含む約12ヘクタールに及ぶ広範囲の土地が「東大寺旧境内」として国の史跡に指定されている。

国宝
南大門(大仏様建築)
中門
金堂(大仏殿)
俊乗堂
鐘楼
開山堂
法華堂
戒壇院
転害門(建造物)

金堂(大仏殿)
南大門
本坊経庫
開山堂
鐘楼
法華堂(三月堂)
二月堂
転害門
(美術工芸品)

絹本著色倶舎曼荼羅図
紙本著色華厳五十五所絵巻
銅造盧舎那仏坐像(金堂安置)
乾漆不空羂索観音立像(法華堂安置)
乾漆梵天・帝釈天立像(法華堂安置)
乾漆金剛力士立像 2躯(法華堂安置)
乾漆四天王立像(法華堂安置)
塑造日光菩薩・月光菩薩立像(法華堂安置)
塑造執金剛神立像(法華堂安置)
塑造四天王立像(所在戒壇堂)
銅造誕生釈迦仏立像・銅造灌仏盤 (奈良国立博物館に寄託)
木造金剛力士立像 2躯(所在南大門)
木造俊乗上人坐像(俊乗堂安置)
木造僧形八幡神坐像 快慶作(八幡殿安置)
木造良弁僧正坐像(開山堂安置)
花鳥彩絵油色箱
金銅八角燈籠(大仏殿前所在)
葡萄唐草文染韋(そめかわ)
梵鐘
賢愚経 巻第十五(四百六十七行)
東大寺文書100巻(979通)、8,516通
東大寺金堂鎮壇具 一括

重要文化財
(建造物)
中門
東西回廊
東西楽門
念仏堂
法華堂経庫
法華堂手水屋
法華堂北門
二月堂閼伽井屋
二月堂参籠所
二月堂仏餉屋
三昧堂(四月堂)
大湯屋
勧進所経庫
石造五輪塔(奈良市川上町所在)
(絵画)
絹本著色嘉祥大師像・絹本著色浄影大師像(かじょうだいしぞう・じょうようだいしぞう)
絹本著色華厳海会善知識曼荼羅図(けごんかいえぜんちしきまんだらず)
絹本著色華厳五十五所絵 10面
絹本著色香象大師像
絹本著色十一面観音像(2005年重文指定)
絹本著色四聖御影(ししょうのみえ)(建長本)・(永和本)
紙本著色東大寺大仏縁起 芝琳賢筆
(彫刻)
(金堂安置)木造如意輪観音・虚空蔵菩薩坐像 順慶・賢慶・了慶・尹慶等作
(南大門安置)石造獅子一双
(俊乗堂安置)木造阿弥陀如来立像・快慶作 木造愛染明王坐像
(念仏堂安置)木造地蔵菩薩坐像
(法華堂安置)塑造弁才天・吉祥天立像 木造不動明王二童子像 木造地蔵菩薩坐像
(二月堂参籠所食堂安置)木造訶梨帝母坐像
(三昧堂安置)木造千手観音立像 木造阿弥陀如来坐像
(公慶堂安置)木造公慶上人坐像
(勧進所阿弥陀堂安置)木造五劫思惟阿弥陀坐像
(戒壇院千手堂安置)厨子入木造千手観音・四天王立像 木造鑑真和上坐像 木造愛染明王坐像
(中性院所在)木造菩薩立像
(真言院所在)木造地蔵菩薩立像 木造四天王立像(新禅院伝来)
(知足院所在)木造地蔵菩薩立像
(収蔵庫)木造聖観音立像 木造十一面観音立像 木造伎楽面2面 木造行道面(蝿払)2面 木造菩薩面3面
(奈良国立博物館寄託)木造釈迦如来坐像(旧所在指図堂) 木造弥勒仏坐像(旧所在法華堂) 木造阿弥陀如来坐像(旧所在勧進所) 木造十二神将立像(旧所在天皇殿) 木造地蔵菩薩立像・快慶作(旧所在公慶堂) 銅造舟形光背(二月堂本尊光背) 銅造如意輪観音半跏像(菩薩半跏像) 木造持国天立像 木造多聞天立像 木造伎楽面29面・乾漆伎楽面1面 木造舞楽面9面 木造獅子頭 木造閻魔王坐像・木造泰山府君坐像
(東京国立博物館寄託)木造青面金剛立像
(工芸品)
金銅鉢 2口
孔雀文磬
鉦鼓(長承三年銘)
鉦鼓(建久九年銘)
鉄釣燈籠(法華堂所在)
鉄湯船(大湯屋所在)
鉄鑰(てつやく)鍵付
堂司鈴
銅香水杓 4枝
銅水瓶 2口
銅鉢(金銅受台付)・金銅受台
鰐口
梵鐘 (真言院)
梵鐘(二月堂食堂所用)
雲鳳戧金経櫃(うんぽうそうきんきょうびつ)
朱漆布薩盥(ふさつたらい) 3口
黒漆鼓胴 2口
黒漆螺鈿卓(しょく)
彩絵鼓胴
彩絵鼓胴
五獅子如意(伝聖宝所持)
玳瑁如意(たいまいにょい)
二月堂練行衆盤 11枚
木製黒漆油壺 2口
木造西大門勅額
石燈籠(法華堂前所在)
(書跡・典籍)
華厳経 巻第一、第四、第五、第六、第九、第十一
願文集
虚空蔵経 自巻第一至巻第八
金光明最勝王経註釈 巻第五、第九
金剛般若経讃述 巻上(白点本)
高僧伝六種 宗性筆
高麗版華厳経随疏演義鈔
紺紙金字華厳経
紺紙銀字華厳経残巻(二月堂焼経)
細字金光明最勝王経 自巻第六至巻第十
続華厳略経疏刊定記 巻第二、第九上下、第十三上下
大威徳陀羅尼経 自巻第一至巻第十
大般涅槃経 自巻第一至巻第四十
大毘婆沙論 巻第廿三
大方等大集菩薩念仏三昧経 自巻第一至巻第十
百法顕幽抄 巻第一末(朱点本)
法華統略 巻上
弥沙塞羯磨本(みしゃそくこんまぼん)
瑜伽師地論 巻第十二、第十三、第十四、第十七
羯磨(こんま)
円照上人行状記 凝然筆
東大寺凝然撰述章疏類自筆本(九種)
東大寺宗性筆聖教并抄録本(二百十四種)
東大寺要録
東大寺要録続録
賢劫経紙本墨書巻物(注)
(注)「賢劫経」は1897年重要文化財(旧国宝)に指定されているが所在不明。写真も残っていない。

(古文書、歴史資料)
栄西自筆唐墨筆献上状 建永二年六月廿一日
越前国田使解(桑原庄券第二、第三)
元久二年重源上人勧進状
阿弥陀悔過料資財帳
周防国阿弥陀寺領田畠注文 正治二年十一月日重源加判
宣旨 延暦二十四年九月二十四日菅野眞道自署・太政官宣旨 延暦二十四年二月二十五日菅野眞道自署
僧某逆修願文案 貞慶筆 建久九年四月十五日
東大寺大勧進僧行勇自筆書状 九月十六日 年預五師宛
東大寺奴婢見来帳
二月堂修二会記録文書
東大寺戒壇院指図

中行事
東大寺二月堂の修二会(お松明)1月1日 除夜の鐘(鐘楼)
1月1日?3日 正月三が日(大仏殿・二月堂)
1月7日 修正会(大仏殿) 悔過法要が行なわれる。
2月3日 節分・星祭り(二月堂) 日中、「還宮(げんぐう)」と「節分豆まき」がおこなわれる。還宮とは古くなったお札やお守り等を火にあげる儀式のこと。節分豆まきは、午後2時頃、二月堂の舞台の上から行われる。「星祭り」は、星に「除災与楽」を祈る法会。夕刻、二月堂本堂に万灯明をともし、「星曼荼羅」を掲げてこの法会を勤める。
3月1日?14日 修二会(お水取り)(二月堂) 詳細は修二会の項を参照。奈良時代、実忠和尚によって始められた東大寺の代表的行事。11人の練行衆とよばれる僧侶が精進潔斎して合宿生活を送り、二月堂の本尊十一面観音に罪を懺悔し、国家安泰、万民豊楽等を願う。内陣の中では過去帳読誦、走りの行法、韃靼の行法などの行事が行なわれる。二月堂の上でたいまつを振り回す「お松明」は3月1日以降連日行なわれる。若狭井から水を汲み本尊に備える「お水取り」は3月12日深夜(13日未明)に行なわれる。2007年の修二会は1255回目になる。
3月15日 涅槃講 釈迦の入涅槃を記念する法要。
4月8日 仏生会(大仏殿) 釈迦の誕生を祝う。
4月24日 華厳知識供(開山堂) 一山の僧侶が開山堂に参集し、良弁僧正の厨子の前に華厳五十五聖善智識曼荼羅をかけ、華厳経を講じ、法会を行なう。
5月2日?3日 聖武天皇祭 聖武天皇の御忌法要。
2日 天皇殿で論議法要。式衆・稚児の行列が市中から大仏殿に向かう。到着後、大仏殿で聖武天皇慶讃法要。舞楽も奉納される。
3日 山陵祭(大仏殿・佐保御陵) 大仏殿を出発し、東大寺一山の僧侶が聖武天皇をまつる佐保御陵に参拝する。帰着後、大仏殿で献茶式。
7月5日 俊乗忌(俊乗堂) 鎌倉時代に大仏を復興した俊乗房重源の法要。法要終了後(11時ころ)から午後4時ころまで日頃非公開の秘仏重源上人坐像(国宝)が一般公開される。
7月28日 解除会(げじょえ)(大仏殿) 法要と茅の輪くぐりが行なわれる。
8月7日 大仏お身拭い(大仏殿) 200人程の僧侶や関係者が、早朝より二月堂の湯屋で身を清め、白装束に藁草履姿で大仏殿に集合し、午前7時より撥遣作法が行われた後、全員でお経を唱え、年に一度の大仏さまの「お身拭い」を行なう。
8月9日 およく(二月堂) この日参詣すると46,000回参詣したのと同じ功徳が得られると伝えられている。
8月15日 万灯供養会(大仏殿) 盂蘭盆(うらぼん)の最終日、8月15日の夜、大仏に多くの灯籠をお供えする。お盆に帰省できない方々にもせめて御先祖の供養をしていただけるようにという趣旨で、昭和60年に始められた。
9月17日 十七夜(二月堂) 観世音菩薩の縁日で、法要のほか二月堂前広場で盆踊りが行なわれる。
10月5日 転害会 東大寺の鎮守の手向山八幡神社の祭礼。
10月15日 大仏さま秋の祭り(大仏殿)
12月14日 仏名会(二月堂) 三千仏の画像を掛け仏名を唱えて礼拝し、年内の罪障消滅を祈願。
12月16日 良弁忌(開山堂) 東大寺開山良弁僧正の法要。秘仏・良弁僧正坐像、執金剛神立像が公開される。
12月16日 方広会(法華堂) 研学竪義(けんがくりゅうぎ)と呼ばれる口頭試問が行われる。寺内の華厳と三論を学ぶものが学僧として認められるためにはこれに合格しなければならない。現在は形式化している。
12月18日 香水下げ渡し お水取りで汲まれた若狭井の水が信者に分け与えられる。
このほか、2002年以来、毎年12月にザ・グレイト・ブッダ・シンポジウムが開かれている。仏教に関する諸問題を広い視野に立ちながら厳密な学問的方法をもって分析・検討し、その意義を明らかにすることを目的とする。

社会事業
東大寺は、光明皇后が悲田院や施薬院を設け、日本の社会事業のさきがけとなった寺院であるため今も各種社会事業が行なわれている。

東大寺福祉療育病院
肢体不自由児施設・東大寺整肢園と重症心身障害児施設・東大寺光明園、及び重症心身障害児者通園施設・華の明から成り、障害を持つ子供たちの療育を行っている。また、一般の整形外科等の外来や入院手術、リハビリテーションなども行っている。
東大寺学園
中高一貫の教育を行なっている。初代校長は別当も務めた清水公照。以前は境内の南大門西隣にあったが、現在は山陵町に移転している。大仏殿西隣には幼稚園(三年保育)もある。
東大寺図書館
主として仏教関係図書、仏教美術、古書、古文書、考古資料等を蒐集保存し、一般の閲覧に供している。

2009年01月24日

スカひらセブン

スキミン ソーター ブロッキ レニア ツーリング ナスカ イジェクト ビッグ カット 管弦楽団 ユース イブ日本 バンコ ゾーニング フルスピ モンテ サクラ キット モメンタム スラング 波間 ヒロポン ハシソウ プレース ジャル めんだ トラベラ パロディ タイプ オーバー ウィグ パキラ そらち ダラー シロッコ バーベナ ダーク フリー スーツ マウス ネクタ ネチズ ヨット バリ デリン ブルーデー フェルト イーブン ブライ にしままい

スカひらセブン
(『スカート、ひらり』のCDジャケットで選抜されたチームAメンバーの通称名)
チームA:大島麻、小嶋、高橋、成田、前田、板野、中西
『会いたかった』選抜メンバー
チームA:板野、大江、大島麻、小嶋、篠田、高橋、戸島、中西、成田、前田、峯岸
チームK:秋元、梅田、大島優、小野、河西、小林、野呂、松原、宮澤
『制服が邪魔をする』選抜メンバー
チームA:板野、大島麻、小嶋、篠田、高橋、中西、前田、峯岸
チームK:秋元、大島優、小野、河西、増田、宮澤
『軽蔑していた愛情』選抜メンバー
チームA:板野、大島麻、小嶋、篠田、高橋、中西、前田、峯岸
チームK:秋元、大島優、小野、河西、小林、佐藤夏、増田、宮澤
『BINGO!』選抜メンバー
(強調文字はPVで白い衣装を着用しているフロントメンバー)
チームA:板野、大島麻、小嶋、篠田、高橋、中西、前田、峯岸
チームK:秋元、大島優、奥、小野、河西、増田、宮澤
チームB:柏木、平嶋、渡辺麻
『僕の太陽』選抜メンバー
(強調文字はフロントメンバー)
チームA:板野、大島麻、小嶋、篠田、高橋、中西、前田、峯岸
チームK:秋元、大島優、小野、河西、宮澤
チームB:渡辺麻
『未来の果実』選抜メンバー
(劇場版、月間B.L.T2007年10月号の表紙を飾ったメンバー。強調文字はKBC九州朝日放送水と緑のキャンペーンHPに記載されているメンバー)
チームA:板野、大島麻、小嶋、篠田、高橋、中西、前田、峯岸
チームK:秋元、梅田、大島優、小野、河西、佐藤夏、増田、宮澤
チームB:渡辺麻
佐藤は水と緑のキャンペーンHP記載のみ。
『夕陽を見ているか?』選抜メンバー
(強調文字は初回限定版Bのフロントメンバー)
チームA:板野、小嶋、高橋、前田、峯岸
チームK:大島優、小野、河西、宮澤
チームB:渡辺麻
『ロマンス、イラネ』選抜メンバー
チームA:板野、大島麻、小嶋、佐藤由、篠田、高橋、戸島、前田、峯岸
チームK:秋元、大島優、小野、河西、宮澤
チームB:菊地、渡辺麻
『桜の花びらたち2008』選抜メンバー
(強調文字は初回限定版Bのフロントメンバー)
チームA:板野、大島麻、小嶋、佐藤由、篠田、高橋、成田、前田、峯岸
チームK:秋元、大島優、小野、河西、松原、宮澤
チームB:多田、柏木、菊地、平嶋、渡辺麻
『Baby! Baby! Baby!』選抜メンバー
(強調文字はフロントメンバー)
チームA:板野、大島麻、川崎、小嶋、佐藤由、篠田、高橋、中西、前田、峯岸
チームK:秋元、梅田、大島優、大堀、小野、河西、宮澤
チームB:柏木、菊地、渡辺麻
『大声ダイヤモンド』選抜メンバー
(強調文字はブレザー着用のフロントメンバー)
チームA:板野、大島麻、川崎、北原、小嶋、佐藤由、篠田、高橋、前田、峯岸、宮崎
チームK:秋元、大島優、小野、河西、宮澤
チームB:柏木、指原、渡辺麻
SKE48:松井珠理奈

写真集・グラビア関連
篠山紀信写真集『AKB48 JUMP & CRY』選抜メンバー
チームA:板野、大島麻、小嶋、篠田、高橋、中西、前田、増山、峯岸
チームK:秋元、大島優、大堀、奥、小野、河西、野呂、早野、宮澤
週刊プレイボーイ(No.36 2007年8月20日発売付)グラビア写真選抜メンバー
(強調文字は表紙を飾ったメンバー)
チームA:大島麻、佐藤由、篠田、中西、前田、峯岸
チームK:秋元、大島優、奥、小野、小林、増田、宮澤
チームB:柏木、渡辺麻
ビッグコミックスピリッツ(No.38 2007年8月20日発売付)グラビア写真選抜メンバー
(強調文字は表紙を飾ったメンバー)
チームA:板野、大島麻、篠田、高橋、成田、前田、峯岸
チームK:小野、河西、小林
ビッグコミックスピリッツ(No.08 2008年1月21日発売付)グラビア写真選抜メンバー
(強調文字は表紙を飾ったメンバー)
チームA:板野、大島麻、小嶋、篠田、高橋、前田、峯岸
チームK:大島優、小野、河西

ディスコグラフィー

シングル

インディーズ
桜の花びらたち(2006年2月1日) - AKSより発売
スカート、ひらり(2006年6月7日)

メジャー
デフスターレコーズに移籍
会いたかった(2006年10月25日)
制服が邪魔をする(2007年1月31日)
軽蔑していた愛情(2007年4月18日)
BINGO!(2007年7月18日)
僕の太陽(2007年8月8日)
夕陽を見ているか?(2007年10月31日)
ロマンス、イラネ(2008年1月23日)
桜の花びらたち2008(2008年2月27日)
AKSより配信
Baby! Baby! Baby!(2008年6月13日)
キングレコードに移籍
大声ダイヤモンド(2008年10月22日)
10年桜(2009年3月4日)

アルバム

オリジナルアルバム
デフスターレコーズ
SET LIST〜グレイテストソングス 2006-2007〜(2008年1月1日)

劇場公演アルバム
デフスターレコーズ
チームA 1st Stage「PARTYが始まるよ」(2007年3月7日)
チームA 2nd Stage「会いたかった」(2007年3月7日)
チームA 3rd Stage「誰かのために」(2007年3月7日)
チームK 1st Stage「PARTYが始まるよ」(2007年3月7日)
チームK 2nd Stage「青春ガールズ」(2007年3月7日)
チームK 3rd Stage「脳内パラダイス」(2007年3月7日)

コンサート音源
AKS - 劇場物販・Webのみ
ライブDVDは出るだろうけど、やっぱり生に限るぜ! AKB48夏祭り(2008年11月20日、AKB-D2008) - プレミアムBOX同梱、限定4,000枚
AKB48 まさか、このコンサートの音源は流出しないよね?ライブCD(2008年12月27日)

DVD
劇場公演
デフスターレコーズ
チームA 1st Stage「PARTYが始まるよ」(2007年3月21日)
チームA 2nd Stage「会いたかった」(2007年3月21日)
チームA 3rd Stage「誰かのために」(2007年3月21日)
チームK 1st Stage「PARTYが始まるよ」(2007年3月21日)
チームK 2nd Stage「青春ガールズ」(2007年3月21日)
スターターキット「今からでも間に合うAKB48!!」【完全生産限定BOX】(2007年3月21日)
チームA1st、2nd、3rd、チームK1st、2ndの5枚と特典DVD「Snap Shot」を1枚をセットにしたBOXセット。
チームA 4th Stage「ただいま恋愛中」(2007年11月28日)
チームK 3rd Stage「脳内パラダイス」(2007年11月28日)
チームB 1st Stage「青春ガールズ」(2008年3月26日)
ひまわり組 1st Stage「僕の太陽」(2008年4月23日)
AKS - 劇場物販・Webのみ
チームB 2nd Stage「会いたかった」(2008年9月26日、AKB-D2006)
ひまわり組 2nd Stage「夢を死なせるわけにいかない」(2008年10月5日、AKB-D2007)
コンサート
デフスターレコーズ
ファーストコンサート「会いたかった〜柱はないぜ!〜」in 日本青年館 ノーマルバージョン(2007年1月31日)
ファーストコンサート「会いたかった〜柱はないぜ!〜」in 日本青年館 シャッフルバージョン(2007年1月31日)
「春のちょっとだけ全国ツアー〜まだまだだぜ AKB48!〜」in 東京厚生年金会館 AKB48(2007年7月18日)
AKS - 劇場物販・Webのみ
AKB48 リクエストアワーセットリストベスト100(2008年7月25日、AKB-D2003)
ライブDVDは出るだろうけど、やっぱり生に限るぜ! AKB48夏祭り プレミアムBOX(2008年11月20日、AKB-D2008) - 限定4,000セット
ライブDVDは出るだろうけど、やっぱり生に限るぜ! AKB48夏祭り(2008年11月20日、AKB-D2009)
AKB48 まさか、このコンサートの音源は流出しないよね? ライブDVD(2008年12月27日)
卒業記念
AKS - 劇場物販・Webのみ
SPECIAL EDITION AKB48 「Memories」宇佐美友紀(2006年6月23日、AKB-D2001)
五人の足跡。〜また会う日まで〜(2008年11月23日、AKB-D2010) - 大江・駒谷・戸島・中西里・成田
その他
チームA PARTYが始まるよ 〜1st stage〜(2006年8月11日、AKB-D2002) - 限定1,000枚
Baby! Baby! Baby! Video Clip Box Set(2008年8月30日、AKB-D2004)
Baby! Baby! Baby! Video Clip Collection version PINK(2008年8月30日、AKB-D2005)
Baby! Baby! Baby! Video Clip Collection version BLUE(2008年8月30日、AKB-D2005)
Baby! Baby! Baby! Video Clip Collection version GREEN(2008年8月30日、AKB-D2005)
派生ユニット・ソロ作品はメンバー個別ページ参照のこと。

出演
24時間テレビ31「愛は地球を救う」『誓い〜一番大切な約束』(2008年8月31日、日本テレビ) - 板野・大島麻・小嶋・篠田・高橋・峯岸・大島優・大堀・浦野・渡辺麻

ドラマ
ですよねぇ。(2006年1月3日-3月23日、TBS) - 当時のチームAメンバー数人が不定期で所々に出演。
電車男DELUXE 最後の聖戦(2006年9月23日、フジテレビ) - 当時のメンバーが本人役として出演。
メン☆ドル 〜イケメンアイドル〜(主演、2008年10月10日 - 、テレビ東京) - ノースリーブス

2009年01月17日

オゾン層(オゾンそう)

オゾン層(オゾンそう)とは地球の大気中でオゾンの濃度が高い部分のことである。オゾンは、地上から約20?50kmほどの成層圏に多く存在し、特に地上20?25kmの高さで最も密度が高くなる。

成層圏中では、太陽からの242nm以下の波長の紫外線を吸収して酸素分子が光解離し酸素原子になる。この酸素原子が酸素分子と結びついてオゾンとなる。また生成したオゾンは320nm以下の波長を持つ紫外線を吸収し、酸素分子と酸素原子に分解するという反応も同時に進行する(反応式のMは主に窒素や酸素の分子で、反応のエネルギーを受け取る役割をしている)。各反応素過程は次のように示される。hνとは光(太陽からの紫外線)のエネルギーを表している。
スイート ビジブル 神の蔵 梅最適 ノマド 天空の城 ほない スポー メセナ ノーブル ルピア レシピ ビーエル ナビサド インテーク オーバー ベックス イッシュー ムラグ おのいして ガーベラ バターケ ピッチ リアフレ デルレイ ソシオ ひるぜん ストロ ビジョナリー ミブーツ デポジット フレッ シンフ マザー ウルク たつごう キヨス モルツ トゼブラ シェルタ マホメ ふたみ せっさ マヌカン レクチン クロヨン プラグ ナッシ トーチ リョウ

オゾン生成のプロセス

の反応のメカニズムは1930年にチャップマンによって考え出され、チャップマン機構と呼ばれる。大気中のオゾンは、その90%以上が成層圏に存在し、オゾン層では濃度は2?8ppmと、地表に比べれば非常に高い。

オゾンは主に、赤道上の熱帯成層圏下部で最も活発に生成されている。生成されたオゾンはブリューワ・ドブソン循環によって高緯度の成層圏に運ばれるので、極域の方が熱帯地方よりもオゾンが多くなる。ところが、近年、冷媒等に使われるフロンを起源とする活性化した塩素原子がオゾンを分解し減少させてしまう事が問題となっている(下記記述)。

オゾン層と紫外線
オゾン層は、太陽からの有害な紫外線の多くを吸収し、地上の生態系を保護する役割を果たしている。

紫外線は波長によってUV-A、UV-B、UV-Cに分類される。最も波長が短く有害なUV-Cはオゾン層によって完全に吸収され、地表に届くことはない。UV-AとUV-Cの中間の波長を持つUV-Bは、そのほとんどがオゾン層によって吸収されるが、その一部は地表に到達し、皮膚の炎症や皮膚がんの原因となる。最も波長の長いUV-Aは、大半が吸収されずに地表に到達するが、有害性はUV-Bよりも小さい。UV-Aは、しわやたるみの原因になる。

紫外線も参照

オゾン層の破壊
オゾンはヒドロキシラジカル、一酸化窒素、塩素原子などの存在によって分解される。これらは成層圏で自然にも発生するものであり、オゾンの生成と分解のバランスが保たれてきた。

しかし冷蔵庫、クーラーなどの冷媒や、プリント基板の洗浄剤として使用されてきたフロンなどの塩素を含む化学物質が大気中に排出されたことで、成層圏で塩素原子が増加し、オゾン層の破壊が進んだ。フロンは非常に安定な物質であるため、ほとんど分解されないまま成層圏に達し、太陽からの紫外線によって分解され、オゾンを分解する働きを持つ塩素原子ができる。

成層圏における、塩素原子による触媒反応系はダイマー駆動機構(dimer-driven mechanism)と呼ばれ、その反応素過程は次のように示される。

オゾン分解のプロセス

正味:

この塩素原子は、たった1つでオゾン分子約10万個を連鎖的に分解していく。こうした原因からオゾンホールと呼ばれるオゾン濃度が極端に薄くなった部分が出来た。南極上空では、オゾンホールが毎年9?10月に現れることが知られている。

オゾン層の現状
このままオゾン層が破壊され地表に有害な紫外線が増えると、皮膚がんや結膜炎などが増加すると考えられている。気象庁の観測によると、日本上空においても、オゾンの減少傾向が確認されている。しかし近年になってフロンガスの全世界的な使用規制が功を奏したとみられ、オゾンは徐々にではあるが再生されつつあり、ほぼ問題は解決された。

なお、「これまでに放出されたフロンが成層圏に届くまでには数十年かかるので、オゾン層破壊はこれから更に進行する」というのは俗説である。実際、対流圏でフロン濃度が最大になってから成層圏でフロン濃度が最大になるまでに要する時間は、3?4年程度である。

一方、最近の研究によると、温度が低くなるとオゾン層も減ってくるという説が提案されており、季節変動やQBO、南極振動などの太陽活動に誘起されたテレコネクションによる南極の寒冷化がオゾンホールの主な原因ではないかと指摘する報告があがってきている[1][2][3]。

他、オゾンは酸素から発生しているが、近年、地球上の酸素が急激に減少していると言う報告もあり[4]酸素の減少がオゾン層の希薄化を引き起こしている可能性も高い。成層圏では逆にオゾン層の希薄化に伴う光化学反応の減少と思われる気温の低下が報告されており、その代わりに対流圏付近で光化学反応が行われ気温が上昇する事が考えられる。